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「倶(とも)に一つの処(ところ)で出会う」といった意味です。
極楽浄土には、すでに亡くなった人たちが、わたしたちの来るのを待っておられるのです。そう考えると、死はそれほど恐ろしいものではなくなりますね。
お釈迦様さまはいっています。「苦にするな」と、つまりは私たちは、うらみ憎んでいいのです。
「憎んではいけない」と考えると、気が鬱屈します。
それよりはスカッと憎んだほうがいいのです。
すぐカッとなる人を「瞬間湯沸かし器」といって、からかいの対象にしますが、仏教的にはその瞬間湯沸かし器がいいのです。
そして、ついでに「瞬間冷凍器」であれば理想的です。
カッと怒って、パッと忘れてしまう。それがうまい憎みかたなのですね。
お釈迦さまの六方拝
「東西南北天地」の六方に感謝することです。
東に向かって両親とご先祖様に …
西に向かって自分の家族に …
南に向かって人生でいろいろと教えてくれた恩師に …
北に向かって友人、知人に …
天地に向かって自然すべてに …
この六方に向かって常に感謝しながら生きれば、お釈迦さまの教えの全てを得心したのとほぼ同等なのだそうです。
北京オリンピックのときに、全日本女子ソフトボールチームにメンタルトレーナーとして招聘された西田文郎氏は、この 「六方拝」を選手用にアレンジして指導したそうです。そして、選手たちは見事に期待に応え金メダルを獲得し、日本中に大きな感動を与えてくれました。
仏さまの世界は蓮の花で象徴しますが、
「蓮には三つの徳がある」といわれています。
*これは人間にたとえて言えば、人は誰でも仏の種をもっているから、いつかチャンスが訪れれば、必ず仏になることができるということを象徴しています。
雪の夜の旅人の話です。二人の学僧が星もない暗闇の中を、空腹を我慢して歩き続けていました。
ついに墓場で夜を明かすことになり、せめて飲み水をと思い、窪みにたまった水を発見しました。そのおいしさはまさに甘露の味だったそうです。
翌朝同じ水を探そうと水たまりに行くと、なんとそこは人間の頭髪や骨が散乱して蛆虫のわく腐水でした。もちろん一滴の水も飲むことはできません。
そこで学僧は大きな道理を悟りました。
昨夜は甘露と思った同じ水が、今日は腐った水と見える。つまりは世間の万物はみな心の所変(しょへん)に他ならないと…。
それが仏教の根本の教えであることを、その場ではっきりと理解したそうです。
「お布施」というと、お坊さんにさしあげる金品のことと思われるかもしれませんが、「布施」という言葉にはもっと深い意味があります。
「布施」の語源は、古代サンスクリット語の「ダーナ」*であまねく施すという意味があります。
布施はもっとも大切な仏道修行の1つで、
の三種が中心となります。
人に会ったときに、なごやかな顔で優しい言葉をかけることも立派な布施です。困っている人を助けることも尊い布施となります。
布施で大事なことは、布施する人の心・布施を受ける人の心・布施される物の三つが、すべて清らかでなければならないことです。
布施する人に「恵んでやるんだ」という気持ちがあってはならず、受ける人も心の負担を感じなくてもよいのです。
施しの喜び、こだわりや物欲からの解放が、廻り廻って自身のこころを清らかにしてくれる(「三輪清浄」)。
これが「お布施」をすることの真の意味なのです。
*檀那さん、檀家さんの語源